木津川南山城、神童子にある神童寺を拝観しました。
本尊は彩色された凄まじい形相の蔵王権現像、傍には破損仏である十一面観音像が安置されています。
収蔵庫には白不動像、役行者像などが安置され、小さなお寺なのですが、貴重で珍しい仏像が収蔵されています。
南山城は他にも素晴らしい仏像やお寺が点在し、かつては山岳信仰の拠点でもあり、大陸から渡来した人々が生活をしていた場所でもありました。
「神童寺縁起」
神童寺は聖徳太子が初めて開いたと言われています。白鳳4年に行者が山で修行をしていると、突然童子が現れて、「汝の傍に石楠花の樹あり、誠に霊木なり。これにて仏像を刻み衆生を済度せよ。吾らは四神、常にこの樹を守護す。」と言い放って空に飛び去りました。行者は奇異に思い37日間祈っていると、地中から光明を放ち、忿怒の形を具えた蔵王権現が現れ、悪魔降伏、除災招福の相を示現し、虚空彼方へ隠れました。行者はすぐに石楠花の樹で蔵王権現の像を彫刻し始めると、再び神童が二人現れ、行者の仕事を助けたので像はすぐに完成しました。神童は「吾らは天八百日尊、天三下尊なり、永く伽藍を擁護せん。」と言って去ってしまいました。
行者は、蔵王堂を建てて権現像を安置し、神童ら六神を伽藍の守護神とし、永く神徳を顕すために、この寺を神童寺と称することになりました。
神童寺の裏手の山あいにある廃屋、蔵も家屋もすでに傾いている。家の中には、美しいガラス細工の引き戸や調度類がそのまま残されている。
神童寺は京都と奈良の境に位置し、奈良からですと車で小一時間の距離です。
この辺りは神童寺縁起にも出てくるように、神童がこの地に降り立ったことから、神童子という地名がついているそうです。
山あいの小さな集落に沿うような曲がりくねった路地を歩くと、すでに人が住まなくなった廃屋があり、この集落が近い将来に過疎化していく姿が垣間見られます。この地が宇治に近いこともあり、かつてはお茶の栽培で活気があった場所なのでしょう。
神童寺のご住職曰く「住む人が誰もいなくなり、寺だけが残され、一番初めの元の姿に戻るのです。」
すべては地に帰る、ということでしょうか。
それでも、この美しい集落のある日本の原風景が消えていくことを、日本はこれからどのようになるのかと、思わずにはいられなかったのです。